目次
冷戦
軍備競争
冷戦時代、米ソは核軍拡競争を展開し、何十億ドルもの資金を投じて大量の核兵器を保有した。 冷戦末期には、ソ連は国民総生産の約27%を軍事費に費やしていた。 これはソ連の経済に打撃を与え、冷戦を終結させる一助となったのだ。戦争ソ連とアメリカの核兵器増強
著者不明
核爆弾
アメリカは第二次世界大戦中、マンハッタン計画により世界で初めて核兵器を開発し、広島と長崎に原爆を投下して日本との戦争を終わらせた。
核爆弾は、都市全体を破壊し、何万人もの命を奪うことができる非常に強力な兵器である。 戦争で核兵器が使われたのは、第二次世界大戦末期の対日戦だけである。 冷戦は、文明世界の大部分を破壊しかねない核戦争を、どちらも望まなかったことが前提であった。
軍拡競争の始まり
1949年8月29日、ソ連は初の原爆実験に成功した。 世界は衝撃を受けた。 ソ連がここまで核開発を進めているとは思っていなかったからだ。 軍備競争が始まったのだ。
1952年、アメリカは核爆弾をさらに強力にした水爆を初めて爆発させ、ソ連も1953年に水爆を初めて爆発させた。
ICBM
1950年代、両国は大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発に取り組んだ。 このミサイルは、3,500マイルという長距離から発射することができる。
関連項目: 子どものための伝記:ポカホンタスディフェンス
両陣営がより強力な兵器を開発し続ける中、戦争が起きたらどうしようという不安が世界中に広がり、軍部はミサイル発射を見分けるための大型レーダーや、ICBMを撃ち落とす防衛ミサイルの開発に取り組み始めたのである。
同時に、核攻撃に備えて防空壕や地下壕が作られ、政府高官が安全に居住できる大深度地下施設も作られた。
相互確証破壊
冷戦の大きな要因の一つは、「相互確証破壊(MAD)」と呼ばれるものである。 これは、先制攻撃が成功しても、相手国が報復して先制攻撃した国を破壊できることを意味する。 このため、両者とも核兵器を使用しなかった。 コストが高すぎたのである。
トライデントミサイル
写真提供:Unknown
その他の関係国
冷戦時代には、イギリス、フランス、中華人民共和国の3カ国も核爆弾を開発し、自国の核兵器を保有していた。
デタントと軍縮交渉
1970年代初頭、軍備競争は激化し、両国にとって非常に高価なものとなった。 1970年代初頭、両国は何かを与えなければならないことに気づき、互いに話し合い、よりソフトな路線をとるようになった。 この関係の緩和はデタントと呼ばれた。
SALTとは、Strategic Arms Limitation Talks(戦略的武器制限協議)の略で、軍備削減のための協定である。
軍拡競争の終焉
1991年、冷戦の終結とともにソビエト連邦が崩壊し、軍拡競争はほぼ終結した。
軍備競争に関する興味深い事実
- マンハッタン計画は、トルーマン副大統領でさえ大統領になるまで知らなかった極秘計画である。 しかし、ソ連の指導者ジョセフ・スターリンのスパイはとても優秀で、すべてを知っていたのである。
- アメリカのB-52爆撃機は、6,000マイルを飛行し、核爆弾を投下することができる。
- 1961年までに、世界を滅ぼすのに十分な量の核爆弾が作られたと推定されている。
- 現在では、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルも核戦力を保有している。
- このページに関する10問のクイズに答えてください。
お使いのブラウザは、オーディオ要素に対応していません。
冷戦をもっと知るために。
冷戦の総括ページに戻る
概要
| 冷戦の人々 |
欧米のリーダー
- ハリー・トルーマン(米)
- ドワイト・アイゼンハワー(アメリカ)
- ジョン・F・ケネディ
- リンドン・B・ジョンソン(アメリカ)
- リチャード・ニクソン
- ロナルド・レーガン(米)
- マーガレット・サッチャー(イギリス)
- ヨシフ・スターリン
- ブレジネフ
- ミハイル・ゴルバチョフ(ソ連)
- 毛沢東
- フィデル・カストロ(キューバ)
戻る 子供のための歴史