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古代メソポタミア
ジグラット
沿革 >> 古代メソポタミアメソポタミアの主要都市の中心には、その都市の主神を祭るために建てられたジグラットと呼ばれる大きな建造物があった。 ジグラット建設の伝統はシュメール人が始めたが、アッカド人、バビロン人、アッシリア人などのメソポタミア文明もジグラットを建設している。
ウルの街のジッグラト
1939年に描かれたレナード・ウーリーの絵をもとに
どのようなものだったのでしょうか?
ジッグラトは階段ピラミッドのようなもので、2層から7層まであり、各層は前の層より小さい。 ジッグラトは通常、底辺が四角形である。
どれくらいの大きさになったのですか?
ジッグラトの中には、巨大なものもあったと考えられている。 記録に残る最大のジッグラトはバビロンのもので、7層からなり、高さは約300フィート、底辺は約300フィート×300フィートの正方形であったという。
なぜ作ったのだろう?
ジグラットとは、都市の主神を祭る神殿のことである。 メソポタミアの各都市には主神がいた。 例えば、バビロンの神はマードック、エリドゥの神はエンキ、ニネベの神はイシュタルである。 ジグラットは、その都市がその神に捧げていたことを示すものである。
ジッグラトの頂上には神を祀る祠があり、神官はここで生け贄などの儀式を行う。 祠をできるだけ天上に近づけようと、高く建てたのである。
ジグラットは残っているのか?
バビロンの巨大なジッグラトは、紀元前330年にアレキサンダー大王がバビロンを征服した時には、すでに廃墟になっていたといわれている。 チョガ・ザンビルのジッグラトは、現存する最後のジッグラトの一つである。 ジッグラトには、再建されたものもある。 都市ウルのジッグラトは、ある程度再建されたものの1つである。
ジッグラトに関する興味深い事実
- バビロンのジッグラトは、シュメール語で「天と地の基礎」を意味する「エテメナンキ」と名付けられた。
- また、ジグラットの高い高さは、季節的な洪水時に役立ったかもしれない。
- 一般に、ジッグラトの頂上まではわずかなスロープしかなく、そのため頂上は警備しやすく、神官の儀式も非公開にすることができた。
- 初期のエジプトのピラミッドは、ジグラットに似た階段状のピラミッドであった。
- マヤやアステカも同様に、神々を祀る階段状のピラミッドを建設した。 これは数千年後の、まったく別の大陸の話である。
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